「ゴーゲッターになる方法 その1)転落」 井原美紀

The Voicers Report は、世界各地で活躍する10人のゴーゲッターで構成された The Voicers が各々の活躍の現場から情報発信をしていきます。
今回は、104か国10000都市以上を旅している「空飛ぶコピーライター―」こと井原美紀さんです。

 

はじめまして。空飛ぶコピーライター井原美紀です。
ゴーゲッターズ のひとりとして、大好きな旅を続けながら、子育てをしながら、好きな仕事につくまでのお話をします。

もはや30年近く前の話になります。
大学4年生の夏休み、当時のボーイフレンドと、親友のお墓まいりに行く途中、交通事故に遭いました。
それがすべての始まりだったのです。

人生初めて親友と呼べるほど仲良しになった大学の友だちは、その年の春、フランス留学を目前に交通事故で亡くなってしまいました。
私はマスコミ就活真っ最中で、あるテレビ局の最終面接を目前に、「最終まで残った」ことを彼女に伝えるためにお墓に向かいました。

親友のお墓は群馬県にありました。
しとしとと小雨降る中、彼の運転で三国峠を走っているとき、突然呪いでもかかったかのようにハンドルが効かなくなり、彼が慌ててハンドルを回そうとしたものの、ちょうど車の幅くらい空いていたガードレールの間から、ぽーんと車ごと転落してしまったのです。

車が崖を落ちていく様を、私は今でも覚えています。
引きつった顔でハンドルを握りしめていた彼、ゆっくりと回っていく景色。
「死ぬのかな?」と自分に問いかけたら「いや、死なないな」と思ったことも。

一瞬気を失ってから、次に気がついたときは、車の後部座席に投げ出され、顔のあたりから血がどくどく流れ、右手は肘のところで完璧に折れ、皮膚の下から骨が異様な角度で盛り上がったいる状況が目に飛び込んできました。

(ひぃぃ、なんで気がついちゃったんだろー。気を失いたい)
と、まぢ思うような光景でした。

ハンドルを握りしめていたために無事だった彼が、かろうじて車から這い出し、崖の上まで助けを呼びに行きました。

 

就職の夢が泡と消えた瞬間

首からどくどく伝わり流れる血をなすすべもなく見ながら、無限とも思える時間が過ぎたころ、救急隊がやってきました。

つぶれたドアがきちんと開かなかったため
「自分で降りられますか?」と聞かれ
(ぜったい無理め)と思ったけれど、頑張って車から体を押し出し、急な崖を担架で運ばれました。
(ああ、最終面接就に行けなくなった)と、暗澹たる気持ちでいたことをまるで昨日のように思い出します。

病院は野戦病院のようでした。
以前の三国峠は、車がよく落ちていたのかもしれません。
怪我人が多く、お医者さまはじめ、看護婦さんたちみなさん慣れたもので、私はあっという間に包帯だらけになりました。
真っ青になって駆けつけてきた両親の気持ちを、今思うと、つい「ごめんなさい!本当にごめんなさい!」と大声であやまりたくなるほどです。

病院へ向かう途中、父は、取り乱す母に何度も
「美紀が死んでも、絶対にXX(彼)を責めるなよ。これが美紀の運命だったんだからな」
と言ったそうです。

 

あと5mmで死んでいた?!

全身打撲、右手肘複雑骨折、顔裂傷、全治三ヶ月という診断が下されました。
複雑骨折した右手は、手術を拒んだため、天井からカギで釣られ、だれかがベッドに軽く触れるだけで激痛が走りました。
顔の傷は、こめかみから耳にかけてぱっくりと割れ、98針ほど縫うことになりました。

「あと5mm で頸動脈を切っていたよ。いや、キミ、ラッキーだったねー」
と私の顔を縫いながら医者がはっはっはと豪快に笑うのですが、ラッキーだと言われるのは、やや不本意でした。

22歳から3年ほど、私の顔は傷跡で見られたものではありませんでした。
それが辛かった、という記憶がないのが不思議です。
きっと就職できなかったことと、将来についての悩みで、顔のことなんてどうでもよかったのかもしれません。

結局、三ヶ月寝たきり、歩行訓練からリハビリを始め、就職など遠い夢と消え失せ、私は「22歳 無職」として、大学を卒業しました。

次回は、大学卒業目前の交通事故、就職失敗、のあと、さらに続く不運なお話です。
ゴーゲッター への道のりは険しく長し!です。

 

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