石川資弘 「田舎発信!自然体で温かい手作り料理を極めるMr. GoGetterz 」 

宇都宮からバスに揺られて40分、大通りから住宅地を抜け、日光の山々を臨む緑の色濃い田園風景の中にヨーロッパの田舎街にありそうなかわいらしい小屋風の建物が見えてくる。
真っ赤な木組みの窓はバスク建築のシンボル。バスク地方の納屋をイメージして建てたという石川資弘さんのバスク地方料理が食べられるレストラン クーリ・ルージュだ。

バスク地方の納屋をイメージした石川資弘氏のレストラン クーリ・ルージュ

目指すのは自然体で温かい料理をつくり続けること
身近にある未開拓の自然の恵みと、
良き生産者達と協力しながら、
知恵と助言を頂いて、
田舎発信の新しい流れを作っていく。

宇都宮だということを忘れてしまいそうになる店内

それが、オーナーシェフとしてこの地に店を構えるまでのさまざまな経験から到達した石川さんの料理に対する真摯な姿勢。

石川資弘氏が料理の道を選んだ理由

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「もともとはバレーボールで大学の推薦入学が決まっていたアスリートだったんですよ」

石川さんはそうにこやかに語る。バレーボール部で活躍していた少年は、当時流行っていたトム・クルーズの映画「カクテル」に影響されて、バーテンダーのアルバイトを始めた。そこでの経験が石川さんの人生のターニングポイントとなった。

そこに、料理の腕の優れたマスターがいたからだ。
彼の作るまかないのパスタのおいしさに、石川さんは、料理に興味を持つようになった。
まかないを作るのを手伝うようになり、おいしいものを食べるときの喜び、喜ぶ顔を見ることがとてもすばらしいことに思えた。

「東京に行って料理を勉強しろ」
そうマスターは言った。
そして石川さんは大学へ行かずに、東京の調理師専門学校入学を決意する。

1年後、調理師の資格を持った若者たちは日本各地のレストランへと旅立っていった。
就職率100%。聞こえはいいが、キッチンの見習いの仕事はいくらでもあり、仕事は重労働で給料は安かった。
「どんなにおしゃれなレストランでもキッチンは地獄ですよ」
石川さんは、都心の有名なフランス料理屋のキッチンで働いた。

朝6時から終電でまで働くのがあたりまえ。終電を逃してしまうこともあった。
東京の名店3軒で5年間働いた。その間はお金もなく、つきあっていた女性(今の奥様)に世話になりながら、なんとか暮らしていたという。

胃潰瘍になった。
食事ものどを通らなくなった。
体はボロボロ。
それでも先輩に恵まれ、フランス帰りの人々の話を聞くのが楽しかった。

「25歳までにフランスに行け!」

先輩たちはみなそういって石川さんを励ました。
そして結婚していた奥様を東京に残して、石川さんは、25歳で、フランス修行に挑んだ。

フランスへ、料理修行の日々

どこでもいいと思って働き始めたのが、いじの悪いシェフの店だった。
先輩から、どんどん次の店を自分で探してステップアップしていくことを教わっていた。インターネットのない時代、手紙や電話での交渉。
しかし、失敗をしてしまった。
手紙を書いた先が、いじわるシェフの友人の店だった。
それがシェフにばれ
「うちの店にいたくないのなら今月で出ていけ」
とクビ宣告を受けてしまった。

次の店が決まらないと困る。日本に帰らなくてはならないかもしれない。

「わたし」「情熱」「ある」
熱い思いを伝えるフランス語を辞書で調べ、それを連発して修行先を探した。
休憩時間に抜け出して何十件というレストランに電話をした。
「わたし」「情熱」「ある」
そればかりを繰り返した。

そして無理とは思いながらもブルゴーニュの3つ星レストランに電話をかけてみた。
「シェフにつないでくれ」
「働きたい」
そういうと相手は日本人だった。
「どうした?」
「うちにこいよ」

幸運にもブルゴーニュ3つ星レストランで働けることになった。

いじわるシェフは、
「おまえ、次行くところみつかったのか」
といじわるに聞いてきた。
ブルゴーニュのその有名店の名前を告げるといじわるシェフもびっくり。
「ふん、3つ星なんて行ったって給料は出ないんだぞ」
そういって驚きを隠そうとした。

いじわるシェフも一目置いていた有名店には世界中からシェフを目指す若者が集まっていた。
給料はなし。
その代わり、屋根裏部屋で寝泊りができた。
同僚の見習いシェフたちとの雑魚寝。
それでも無料だったからありがたかった。

3つ星レストランでの日々は刺激的だった。
日本ではシェフに言われたことを完璧にこなすことが求められた。
シェフの動きを、スキルを、完璧にコピーする。
コピー人間になることが腕を磨くために必要だと思っていた。

3つ星レストランは違った。
シェフを夢見て世界中から熱い思いを抱えた若者が集まっていた
。その中でどう目立つか、自己主張をするか、どうユニークな存在でいるか。
料理だけやっていればいのではない。
表現力、コミュニケーション力、いろいろなスキルが求められた。
誰もが上へのし上がっていくため必死だった。

嫌な思いもした。
キッチンでの料理に関するフランス語は、東京のフランス料理屋で学んでいたから、たいがいわかった。
「ジョーヌ 」
と呼ばれていたが、なんていう意味かわからなかった。
あとからフランス語をしゃべる日本人の仲間にJaune は、「黄色」であることを知らされた。
頭にきて黄色と呼んでいた相手に殴りかかってしまった。
美しい料理をつくりだすキッチンでは、いつも汚い言葉がとびかっていた。

死にそうな思いもした。
やっとできた仲間と飲みに行った帰り、車上荒らしを目撃してしまった。
「おまえ、見ていただろう」
そういわれアラブ人のグループに囲まれて殴られ蹴られ
「こういうのをぼこぼこにするっていうんだなあって感心するような傷」を負わされてしまった。
顔も手も腫れ仕事ができない。
石川さんは、「黄色い問題児」と陰でいわれていた。

自分のやりたいことを見つけたバスク地方

石川さんはフランス各地を転々として地方料理を学んでいった。
「みんながやってないことをやろうと思ったんです」
ゴーゲッターな石川さんの挑戦だった。

各地で修行をしたが、一番心に残った場所は、バスク地方だった。
ピレーネ山脈をはさみ、スペインとフランスにまたがってたエリアがバスク地方。
山の中、人々は自給自足で暮らしていた。小さな名店で働き始めた石川さん。
人間らしい暮らしの中に料理があった。バスク地方のレストランでは、ひと冬を越すために11月上旬からスタッフ総出で、豚一頭分を保存食用に様々な加工をするという。
生ハム、サラミ、チョリソー、ソーセージ、ベーコン、リエット、テリーヌ...
石川さんはバスク地方料理に魅せられていった。
ここでの貴重な経験が石川さんの料理の原点となる。

外国人がいない田舎街。
日本人もいなかった。
めずらしい存在の石川さんに地元の人は距離を置いていた。
地元のレストランやバーに行くうちに、ひとりのひょうきんな老人と仲良くなった。
「あそこの日本人は、いいやつだ」
そうおじいさんがまわりの人にいってくれ、少しづつうちとけていき、地元の家へ呼ばれたり、温かい人々と出会うことができた。
日本では経験できないバスク地方独特の家庭料理も学ぶことができた。

居心地はよかったが、同じところに長くいるつもりはなかった。
新しい土地の新しい料理に出会いたかった。
シェフにはひきとめられたが次の土地へと出発をした。
リヨン、ブルゴーニュ、バスク、ペリゴール、サンテミリオン、ボルドー。
フランス滞在5年間で6つの街の地元料理を学んだ。
そして帰国。

日本は不景気だった。
フランスから戻ったら来てくれと、いってくれていたシェフのところに仕事はなかった。
やっとみつけたレストランは、シェフがいつかないので有名な店。
給料はフランスに行く前と同じだった。

東京に自分の店を持つ

そんな折、知人から西荻窪に居ぬきのいい物件があるとの情報をもらった。
とても良い条件で破格な値段で自分の店を持つチャンスだった。
お金はなかったが、彼の腕を信じて友人や家族が投資をしてくれた。
憧れの自分の店。石川さんは、クーリ・ルージュ(赤いソースの意味)と名付けた。

そして8年後、クーリ・ルージュは進化することになる。

「宇都宮に帰ってこないか」
両親の一言。

石川さんの頭の中に生まれ故郷の宇都宮の風景が浮かんだ。
田園風景が残る街。緑の山、畑。
「バスクと同じことができるかもしれない」
子供が小学校にあがるタイミングで宇都宮に戻り、クーリ・ルージュを大自然の中で開店することを決意をする。

バスクで学んだ食肉加工技術を地元宇都宮で活かそう!
無添加の生ハム。国産の白カビ生ハムをつくってみよう!

バスク地方特有の生ハムやサラミをつくることにチャレンジした。
試行錯誤し添加物を使わず、白カビ(酵母)の力で雑菌から守り、旨味を熟成させた白カビ生ハムを作ることに成功する。
カビは種から探し、ようやく秋田で手に入れたものを独自にブレンドし培養。豚肉は、宇都宮みずほのポークを使用。
限りなくバスク風の国産生ハムが誕生した。

宇都宮だからできること

生ハムを熟成するために宇都宮の名物大谷石の採掘所に場所を借り、大谷石を積み上げて熟成庫を作った。
宇都宮市周辺で採掘される大谷石はゼオライト成分を含み、肉の旨味を増したり腐敗を防いだりする効果があるそうだ。
石川さんは自分の目と舌で確かめてみてその効果を確信。
肉の旨みが増し、味がまろやかになるという。
石川さんのつくる白カビ生ハム、サラミは、宇都宮の自然の力にこだわった熟成庫だからこそおいしくなるのだ。

「この白カビハムを日本中に広めたい」

現状ではレストランで出す量しか作れない。
商品化には、温度や湿度の一定管理ができるしっかりとした熟成庫を建てることが必要。
しかし、全ての資金を調達するのは個人経営者にとって難しい。
でもどうしてもこだわりの生ハムの存在をまず知ってもらい、そして全国に届けたい...。

フランスで修行先をみつけるために、「わたし」「情熱」「ある」
つたないフランス語で伝えたやる気を、今度はインターネットのクラウドファンディングサイトで日本語で語り、熟成庫の建設費用の一部を募った。

「肉の旨味最上級。無添加『国産白カビ生ハム』を日本全国の人へ!熟成庫を創りたい!!」

石川さんの情熱に人々は賭けてくれた。150万円を募ったが全国からあっという間に200万円以上が集まった。

レストランの敷地内に建てられた熟成庫
貯蔵庫の中の白カビ生ハム

東京・フランス・宇都宮
石川さんには、いつも自分のやる気をサポートしてくれる人たちがいた。

クーリ・ルージュのこれから

クーリ・ルージュで自家製生ハムに、自家製ワインをペアリングして出すのが夢だ。
日本ではめずらしい赤ワイン、ピノノアールづくりのためにすでにブドウも育てている。
「宇都宮では無理だ」と反対されている。
それでも、土に聞かないとわからないと石川さんはいう。
醸造する人の熱意にもかかわるという。

やらずにあきらめはしない。
やってから問題解決をしたい。
それが石川流。

東京・フランス・宇都宮
どこいにても自分にしかできないことにチャレンジしてきた石川さん。
誰もやらないことをあえてやってみる。
いろんな人に支えられ、傷つけられ、ぼこぼこにされ、今がある。
そんな石川さんの料理は人情がつまった自然体でとても温かい味がする。

Mr.GoGetterz ・料理人石川資弘は、ワインもハムやサラミもチーズも、地元の力を活かして手作りで、田舎でしかできないレストランを目指して、これからも自分の信じる道をつきすすんでいく。


石川資弘 Motohiro Ishikawa
1972年生まれ。高校卒業後、調理専門学校を経て東京都内のレストランで修行後フランスへ。各地方星付きレストランで地方料理を学び帰国。
2003年荻窪にてレストラン COULIS ROUGE (クーリ・ルージュ)を開業。
2011年地元宇都宮市にて再オープン。