棚からぼたもちパキスタン編

GoGetterz Voice 新企画 The Voicers Report は、世界各地で活躍する10人のゴーゲッターで構成された The Voicers が各々の活躍の現場から情報発信をしていきます。
今回は、GoGetterz コース「女性にしかできないことをする!パキスタンで起業を目指す」 のエキスパートで、パキスタンに移住し、衛生教育・女性と子供のマーケティングビジネスを立ち上げた女性起業家、三原理絵さんです。

 
パキスタン人と少し話をすると、彼らは決まってこう聞く。

「パキスタンをどう思う?」

その表情は、大きな目が少し怯えるかのように、こちらの返事を待っている。

「素晴らしいと思うよ。ご飯は美味しいし、英国王室御用達のマンゴーは、本当に世界一甘くて美味しいと思う。人々も心が温かいし、インダス文明など多くの歴史もある。若さで益々発展するだろうし、ビジネス面では地の利が良い。まぁ、なんでもインシャッラー(アラビア語で「神が望むなら」)で、ちょっと時間にルーズだと思うけど」と笑うと、少しはにかみながら「シュクリヤ」(ウルドゥー語で「ありがとう」)と御礼を言って、そのあとに「怖いと思わないのか?」と聞いてくる。

彼らは、世界から見た自分の国のイメージが、ネガティブであることを知っている。
自爆テロ、貧困、名誉殺人、汚職、強盗、殺人、誘拐など治安の悪さ。
パキスタンは人口約2億人を抱える大国だ。
いろんな人がいると思う。
ただそれはこの大きな国の一部であって、全てではない。
報じられることのない、多くの国民は、人懐っこく、困った人がいれば助け合い、見ず知らずの人のためにも、アッラーに平穏と幸せを祈る優しい人達。

「もっと、パキスタンの素晴らしいところを、発信していけばいいじゃん」

そう彼らに言ったら「怖い国、危ない国と思われている国の人が言うことを、みんなが信じてくれると思う?」と返ってきた。

ふむ。なるほど。
ならば、中立の位置にいる私が、わかる範囲で、問題のない範囲で、パキスタンのポジティブな情報、ここで生活をすること、仕事をすること、ニュースなどでは報じられない日常の一コマを発信して行けば良いのでは?
きっとこれからパキスタンと関わる人の役に立つかもしれないし、零細企業の孤軍奮闘っぷりは、きっと「おいおい、こんな無謀な挑戦をする人がいるのか!」と、誰かを笑わせられるかもしれない。

そう考えていたときに、The Voicers の一員としてコラムを執筆するお話を頂いた。
多分、これこそ、インシャッラーだ。
きっとアッラーが望んでくれたのだろう。
「誰かのために書け」と。

茶色い大都市・カラチ

インシャッラー、つづく

2016年3月にカラチへ移住するまで、2014年から度々パキスタンへ足を運んだ。

誰に言っても、どうせ止められる。
「パキスタン?!危ないよ、やめなよ」って。

そのため、親にも親友にもずっと黙って水面下でパキスタン進出作戦を練っていたので、急に毎月のようにカラチへ足を運びはじめた私を、周囲は「どうしたどうした?!」と見ているのがよく分かった。

当然、うちのような零細企業には渡航費はバカにならない。
しかも、カラチは運転手付きのレンタカー&警備員をつけるのが日系企業の暗黙のルール。
節約のための最安航空券はマイルが付かないこともあり、さらに当然乗り継ぎは宜しくない。乗り継ぎ16時間待ちは、あたりまえ。最長で34時間待ったこともあり、空港係員のシフトが3回転「君はまだいたのか?!ここに住むのかい?」と、彼らから見たら一律お金持ちの日本人のはずなのに、空港の床で鞄を枕に一夜を明かしていた私を不憫に思ったか、エジプトから出稼ぎ中の掃除のおじさんにチョコをもらったこともある。
どの空港のどのソファーなら空調が寒くないとか、コンセントがある場所など、変な知識も増えていった。

はじめの3回はホテルに宿泊したが、4回目からはカラチに家を借り、ローカルの人の暮らしを身近にみた。
そしてわかった。
ここは、出張ベースでなんとかなる国ではない。
本格的に引越そう。

パキスタン〜インド辺りがルーツと言われるB型の血が騒いだか、決めてからは早かった。
日本側の会社存続について調べる。
代表者が非居住者でも問題はない。
ちょうど近年、法改正があったらしい。
そして、日本側での仕事は、協力会社さんのおかげで、私がいなくても、インターネットとメールさえ繋がればすべて回るように整った。
なんて有難い協力!
なんて便利な時代!
なんてラッキーな法改正!
インシャッラー!

そして同時期、東京で居住していたマンションを売りに出した。
見込みの半年よりも早く、売り出しから5ヶ月後、買い手がついた。
私は区役所等で手続きを済ませると、78歳の母と14歳の犬を伴って、38年お世話になった日本を後にした。
そう、いよいよパキスタンへ移住。
ちょうど、桜がほころびはじめた頃で、生まれ育った日本から離陸のときは、いろんな想い出が込み上げてきてちょっと感慨深かった…。と、いうことは予想外にまったくなく、次からは、日本へ「帰る」じゃない日本へ「行く」という立場になるんだな、さぁ!やるぞ!と、これから出逢う出来事への、ワクワクの方が勝っていた。

リキシャには、ヤギも乗る

そして、カラチに来てから驚く。
「世界一平和な日本から、本当に家まで売ってこの危ないカラチへ越してきた?!」
「アメージング…」
「クレイジー…」
「えぇ?!本当に来ちゃったんですか?!」
「しかも、初めての海外暮らしがパキスタン?しかもカラチ?!」

ローカルの知人や、駐在員の皆さんが、口を揃える。
あまりに会う人会う人、皆に言われるので、引越して1ヶ月程してから、あ、これはもしかして結構大きな決断だった…のかも?と思うようになった。

好きで望んでやりたいことがあって、それが必要とされていることがわかって、ならばと骨を埋めるつもりでここに来ているので、実はあまりそんなに驚かれるような大きなこととは思っていなかった。
感覚としては、いつもの出張や引越の延長。
私は時にかなりの鈍感力を発揮するらしく、周囲から驚かれたのに、一番驚いた。

母に話すと、母も「あら、そうなの?」と言う位なので、多分、これはDNAなのかも。無論、母もB型。家族唯一のA型だった父は、きっと苦労していたに違いない。
「やっとわかってくれたか…」父は仏壇の中で安堵の溜め息だろう。ごめんね、父。

葛藤しなかったわけじゃない

この少しのんびりした母を、パキスタンへ連れてくるか?日本に置いてくるか?我が家の一番の問題はそこだった。
母は昭和12年に満州で生まれている。
幼少期に引き揚げ船で日本へ戻ってきて以来、海外へは25年前、アメリカに住む叔母のお見舞いに行ったきり。
3年前に父を16年の介護の末、母娘2人で在宅介護で看取ってからは急に老化が進み、もうヨボヨボ。
あるとき、私がパキスタンへ出張中に自宅で倒れて腰骨を折り、6日間、犬と共に飲まず食わずで倒れていた。
奇跡的に3ヶ月の入院で済んだものの、それ以来、少し言葉が出にくくなってしまったことと、足腰がさらに弱って要介護1。週に2日デイサービスへ通っていた。

そんな母を、転んだら即死しかねない硬い大理石の床で、医療も脆弱なこの国へ連れて行って大丈夫だろうか?
いやいや、それダメでしょう。
母は日本で老人ホームや介護付きマンションに住んでいてもらった方が良いでしょう。

そう誰もが思っていた。
ただそうすると、今度は犬はどうする?という問題が出た。
老人ホームには犬は連れていけない。
そこで、老犬ホームを探した。
それはつまり、私・パキスタン、母・老人ホーム、犬・老犬ホームと、家族がバラバラの案。

私は一人っ子なので、元々、1人には慣れているけれど、4人兄弟の末っ子だった母は、極度の寂しがり屋(私からすると、ただの依存心)。
むぅ…どうしよう?
悩んでいた時に、パキスタン側から「メイドを雇えば、万が一のときには在宅介護できるよ」という連絡がきた。
そうか!それだ!その手があった。

早速調べると、通いのメイドさんで今の相場は月に15,000円程。
週1回の往診医師・看護師サービスも月に15,000円程。
我が家は16年の父の在宅介護で、家族が家族を看る良さ、悪さ、日本の介護保険がカバーしきれない、苦労する部分をたくさん経験してきた。

母が言った。
「それなら大丈夫だわ」
家族がバラバラになることなく、各々の希望も叶うプラン。
「よし、行くか」
腹を括った人間は強い。

かくして、今に至り、私の心配をよそに、母も犬も恐ろしい程にカラチの環境に適応していった。
母は日本にいるときは歩行器がないと歩けないレベルだったのに、今は杖すら使わず歩けるようになった。
バリアフリーでお膳立てされていた日本の家より、常に危機感ある中で過ごす方が、老化抑制には効くのかもしれない。
また、ここでは娘の仕事を間近に見ることが増えたので、親としては少し嬉しいらしい。
とはいえ、どこかに本当にこれで良かったのかな?という思いは常にある。
でもこの思いは、私だけじゃない。
きっと、妻子帯同で駐在しているビジネスマンの皆さんも同じだと思う。
家族と離れて暮らす単身赴任中の方も、きっと同じ。
この、自分の仕事のために少なからず家族を巻き込んでいる状況は、後ろめたさとも違うが、どこかにモヤっとした何かがあり、でもそれも前に進む糧になるように思う。

このブルーを着こなせる素敵なおじさまが結構ゴロゴロいらっしゃる

ぼたもちを取りにいく

カラチへ来てから今のところ、一進一退しながらも、順調に進んでいる…はず。
一悶着あったけれど、何せ、後ろ盾もない丸腰の状態から、半年で現地法人の登記が完了し、ショールームのオープンまで出来た。
早く投資分を回収せねば!という焦りはあるものの、今年は「見識を深める1年」くらいの心構えでちょうど良いような気もする。
何せ、初めての国・人・文化・宗教を相手に生きて行くのだ。ここはゆっくり焦ろう。

私は昔から、自分のことを運が強い人間だと思っている。
私が19歳の頃に父親が倒れて進路変更して、稼ぐ為に仕事をして介護をして、介護離職で鬱になって、一家心中しようとした。
その後に復活して起業をすれば、社員の裏切り、業務提携しようとしていた会社に、危うく無関係の莫大な負債をなすりつけられそうになっていたり、まったくもってちっともラッキーには見えないのだが、すべてのことが、寸前で回避できたり、同じ問題を抱えている人の先行事例として、知らぬ間に誰かのお役に立てていることがある。
とりあえず、今度こそダメかも…という時でも、必ずなんとかなるので、運は強い方だと思う。
それは、自力のときもあれば、他力のおかげのときも多々ある。

棚から落ちてきたぼたもちも、自分が棚の下に行くという行動をしていないと、キャッチできない。
今回、ひとつの小さな出逢いからつながった「パキスタン進出」というぼたもちは、今まで私にとって未知の世界にいたアッラーからのギフトかもしれない。。。

… と、いうことで、これからパキスタンでキャッチしたぼたもちをご紹介しつつ、綺麗にキャッチできるよう、ゴーゲッターで動いて行く様子を、カラチからお伝えしてまいります。

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