宮国優子 「あたらす ふっふあ ぬきゃー(愛しいこどもたちのために)」 道を切り開くMs.GoGetterz

学生街として賑わう東急線大岡山駅の商店街を抜けて歩いていくと、ほどなく「Tandy ga tandhi」にたどりつく。お店の看板に電気がつくのは早くて午後9時。

まったく電気がつかない日が何日も続くこともよくある不思議なお店。ここは宮古島に興味のある人たちが気軽に集う場にしたいと宮古島出身の宮国優子さんが始めた地域の集会所のようなバーである。

「お店を経営しているというよりは、部活動の部室を提供しているって感じなの」と宮国さんは笑う。「部室」が開くのが遅いのは宮国さんには小さな3人の娘さんがいてご主人が帰宅し家事をバトンタッチをしてからではないと家を出られないから。ライターとして、宮古島での活動のリーダーとして宮国さんの毎日は忙しい。

仕事を終えて家に帰って家族団らんを一日の終わりの時間にすることもできる。しかし、彼女はご主人が帰宅すると暗闇の中、自宅より数百メートル先のお店へ向かう。そして宮古島の未来を仲間たちとアツく語り合うのだ。

「辺境の島」で過ごした日々

宮古島に生まれ18歳まで「辺境の島」と彼女がユーモアをこめて呼ぶ宮古島で育った。

「私が過ごした1970~80年代は、みんな一生懸命働いていたけど経済的には本土に比べて貧しかったと思う。でも、豊かだったな。愛情は雑草並みにどこにでもあったから」

島の人々はみな家族のよう。近所のおじさんもおばさんも叱咤激励を嫌というほどしてくれた。時には暑苦しく思う人間関係だったけれど、見栄も恥も外聞もなく心からストレートな人づきあいをする島民の大人たちを見て育ったことが彼女自身の人間形成の軸になっているという。

島には大学はなく、若者の働き口もない。高校を卒業すると若者は島を離れていく。宮国さんも高校卒業後、島を出ていくしかなかった。

どこへ行こう? 東京も大阪も島の外はどこも外国のようなもの。それだったらいっそのこと本当の外国へ行ってしまおうと彼女はアメリカ留学を決意した。

留学後は東京で就職。映像プロダクション、脚本家事務所に勤務後、書くスキルを身に着けフリーランスのライターとなった。大都会東京で結婚をし新生活を始めても、心はいつもどこか宮古島にあった。自然と宮古島関係の執筆仕事が多くなっていった。

わたしが宮古島を変えればいいのだ!

2002年に宮古島に関わる大勢の人たちに取材協力をしてもらい「読めば宮古」を出版。

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これが宮古島のバイブルとして予想以上の反響となる。お礼に協力者に図書券を配ったり、ご飯を食べたり、宮古島に連れて行ったりした。

10年近くたってもまだ増刷がかかる。公私にわたって、島の人たちは宮国優子個人を応援してくれる。うれしいことが多かった。

「このお金を私だけが受け取るのはおかしい」

その時、宮国さんは今だ!と思った。

「このお金を宮古島の未来のために使おう」

島を出てから20年以上がたっていたが、島の若者の状況が変わっていないことが気になっていた。

自分のように一度島を出てしまうとなかなか戻ることができない。それは愛する島には若者が働く場所がないからだ。若者が未来を夢見ることができる場所がないのだ。

「それなら、作ろうじゃないの!このお金で!」

そこに道がないのなら、自分で道を切り開こう! わたしを叱咤激励してくれた愛に満ちたおじちゃんおばちゃんのように、わたしも島の若者に愛をお返ししたい!

宮国さんのGo Getter マインドがさく裂した。

そして仲間と一般社団法人ATALASネットワークを設立。名前の由来は、「あたらす」という宮古島の方言だ。「愛しい」「かけがえのない」といった愛着の感情を示す。ATALASは「Activities to Take the best Advantages of Local-Resources As Sustainable Islands(持続可能な島として、地域資源を最大限に活用するための活動)」という活動ビジョンも表現している。世界中で活躍している宮古出身者やATALASのビジョンに賛同してくれる人々との人的、文化的、経済的なネットワークを構築・活用し、宮古島での産業育成、雇用創出において好循環を生み出すことを目指している。

島の先輩から勧められ沖縄県(公益財団法人沖縄県文化振興会)の平成26年度沖縄文化活性化・創造発信支援事業に応募し、採択された。こうして宮国さんの「あたらす ふっふぁ(愛しいこどもたち)」のために島の未来を考えながら人材作りをしていくプロジェクトが始動した。

譲り受けた大切な庭

夜も更けていく@Tandy ga tandhi 。このお店との出会いも宮古島の人つながりだった。ATALASの活動を始め、ちょうど本土と宮古島の人が気持ちよくゆっくりできる場が、宮古島にも東京にもあればいいなあっと思っていた時のことだった。宮古島を愛してやまない前オーナーが宮古島へ移り住む事になり宮国さんに店を譲ってくれたのだ。

「大切なお庭をくれたんだと思いました。手をいれて、この場を育てていかなくてはと思っています」

譲りうけた店、Tandy ga tandhi とは宮古島の方言で「ありがとう」を意味するという。

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「部室」には本棚があり、宮古島の文献がたくさんおかれている。宮国さんはここで企画執筆にも励んでいる。
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宮国さんは毎年「島を旅立つ君たちへ」という冊子を作る。

島を立つ先輩に後輩が「島を忘れないでほしい」という気持ちを込めて島のことを書くのだという。常識の違う新天地にいってから島のことを知ることになる先輩の助けになりたい。後輩たちにも郷土のことを学び知識をもって行動をとってほしいと願っている。東京の彼女のもとには毎日のように島の後輩たちから「こんな写真は?」「こんなネタは?」っとアイデアが届いている。若者たちの共同作業は順調に進んでいる。

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また本土から宮古島へ講師を呼びさまざまなワークショップも開催している。

また本土から宮古島へ講師を呼びさまざまなワークショップも開催している。

本土の価値観を持ち込むのではなく、お互いが知り合い学び合い本音で意見をぶつけ合える、そんな学びを体現できたらと願っている。そして、そこから生まれる人材が島の財産になると宮国さんは信じている。

宮国さんの夢は、若者がマルチメディアやITなどのスキルを身に着けられる学びの場を島に設立し、若者が島に残って働くという選択肢が持てるようになること。自分たちの歴史を学び、独自性を知り、そのうえで島の若い子たちが成功していけるよう助けになること。宮古島で愛に満ちて育ったころを思い出す。

「若者にうざい!っていわれれば本望です!」

そして宮国さんはスーツケースをガラガラ転がして次のワークショップを開催するために宮古島へと旅立っていった。一歩一歩宮古島の若者の前に道ができてゆく。愛情の雑草がボーボーッと生える道である。

(聞き手:GoGetterzVoice編集部)